とある禅宗寺院の檀家が、「観音経が法華経である事を知ってガッカリした」と言っていた。
なぜガッカリする必要があるのだろうか?また、創価学会の植木雅俊氏は、
「世尊偈はもともと別のお経であった、或いは後代の付加である」と主張している。
この方も法華経に対する妬みは相当強い。
世尊偈は普門品の散文から作られたものであり、別のお経ではない。
竺法護の正法華経27 品が、伝統的に本来の法華経である。
そして法華経が密教の対極にあるかのような印象操作は学者として恥ずかしい。



日本仏教学院ホームページから引用:

梵文普門品には観音の形容として samanta-mukha と出てくる。これが「普門」と漢訳された訳だが、
元来の意味は 「あらゆる 方角に向いている」 ということであると同時に、
mukha には「口」「顔」という意味があり、のちに十一面観音 (Ekādasa-mukha) の出現へと結びついていく。

Q:
世尊偈が法華経以前に存在していたという学者・僧侶がいますが、現存していますか?
A:
考古学的な発見も無く。経録にも法華経梵本が起源と書いてある。
「別行本」と言われているものは、「先行経典」ではなく、法華経梵本から抜き出したものである。
独立した「世尊偈」など存在せず、今後永久に発見されることは無い。

観音経」が元来は、もともと独立した経典だったものを、中国で合体したもので、などという「ガセネタ」が独り歩きしているが、この「ガセネタ」について、調査したところ、創価学会、観音信仰加盟寺院、でした。法華経の「後半六品」に他宗の学者や、他宗の坊主がこだわるのは法華経後半六品の中に、「観音経」や「普賢菩薩品」「陀羅尼品」があるからである。あるいは、「普賢菩薩」や「地蔵菩薩」が登場するからである。また、密教法具である「金剛杵」が登場するからである。また、「序品第一」に学者がこだわるのは、法華経の「無限連鎖」が説かれているからである。また、観世音菩薩、薬王菩薩が登場するからである。後半六品の菩薩たちは、並びに「文殊師利菩薩」は、法華経が開発した仏であるが、密教において重要な菩薩である。「観音菩薩」の三十三身は有名で、それが密教や観音信仰にとっては、「脅威になりかねない」のである。そして、本門仏立宗(八品派)の馬鹿どもが力を貸している。かつて、「世尊偈」は、「普門品経」あるいは「観世音経」という名で、法華経から抜き出した、「別行本」が、すでに世に出回っていた。八品派、或いは密教擁護の坊主は、「属累品」以後は重偈がなく神呪があったり形態がちがう、などと言っているが、これは法華経の「特許」を認めたくないからである。




■■■ 植木雅俊氏の「法華経とは何かその思想と背景」頁247において、「この章には法華経に対する信受は全く言及されていない事に気づく、そのことからこの章は法華経とは全く関係なく独立して作られた経典であって、それがのちに法華経に取り込まれたと言う事が読み取れる。」とあるが、これは誤りである。法華経とは全く関係なく独立して作られた経典は発見されていない。観世音菩薩普門品の「分身化身思想」は、法華経全編に一貫した思想であり、至る所に説かれる。釈迦仏や妙音菩薩も分身する。ここでも植木は、法華経の密教的思想に対する妬みを見せている。また博士は法華経後半6品が思想や内容から見て異質であるといっているが法華経は、現生利益のお経であり、観世音菩薩は現生利益である。

以下観世音菩薩普門品の一部

無尽意菩薩は釈尊に言った。「世尊よ、わたしは今この観世音菩薩に供養します」そして無尽意は、首から幾百千金の価のあるそして宝珠の飾りを取ると、これを与えて言った。「菩薩よ、この宝珠をどうかお受けとりください」そのとき観世音菩薩はこれを受けとらなかった。無尽意は再び言った。「どうか、われらを憐れむと思って、この宝珠をお受けとりください」そのとき釈尊は観世音菩薩に言った。「観世音よ、まさにこの無尽意菩薩と天のものと人と非人と諸々の会衆を憐れむがゆえに、この宝珠を受けるべきである」観世音菩薩は会衆を憐れみ、宝珠を受けて二分し、一つは釈迦牟尼仏に奉り、一つは多宝仏の塔に奉納した。


このように普門品には、多宝如来が登場しており、法華経である事は明白である。そして「観世音菩薩は会衆を憐れみ、宝珠を受けて二分し、一つは釈迦牟尼仏に奉り、一つは多宝仏の塔に奉納した」というのは法華経に対する信受ではないのか?植木というやつは法華経を読む能力すらないのである。また法華経の後半 6品には全て、法華経という単語或いは、法華経にしか登場しないモノが出てくるので法華経である事は明確である。また、世尊偈は間違いなく散文からの思想的発展の形跡が見られる事からも別の経典であったというのは法華経を使わない宗派が流したガセネタであるという事が読み取れる。そして、決定的な証拠は 無尽意菩薩 むじんにぼさつ である 。 無尽意菩薩は長行(散文)にも偈頌(韻文)にも登場する。 無尽意菩薩は法華経の菩薩である。言うまでもなく密教に登場する無尽意菩薩は法華経起源なので、観世音菩薩の起源自体が法華経である事は明白である。 因みに密教において 無尽意菩薩の真言は不詳、或いは名前を唱えるだけとなっている。

西安大興善寺、法華経原本からの校正。所謂、添品妙法華経「序文」より

●竊見提婆達多。及普門品偈。先賢續出。補闕(欠)流行。余景仰遺風。憲章成範。
●訳::法華経原本をよく見ると「提婆達多品」と「普門品偈」はすでに先人によって、欠(竺法護と鳩摩羅什訳の)が補われ流通していた。余は、(先人の) 遺風を仰ぎ模範とする。

※このようにこの時代に出回っていた世尊偈は先行経典ではなく法華経原本から抜き出した別行本であることがわかる。




『法華経』第三類六品の意義について
という論文。キム チェソン(チョンウォン)
<東京大学大学院博士課程>



表面的には法華経についての言及が全然ない品さえも存在するのである。と言っているが
よくこんな嘘がつけますね。普門品には、釈迦多宝二仏が出てきます。
因みに、普門品は散文韻文ともに法華経起源。「後半六品」についても同様。


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★★★添品妙法蓮華経序★★★


●「普門品偈」は「添品妙法蓮華経」から「妙法蓮華経」に組み込まれた。
●それでは、「添品妙法蓮華経」とはいかなるものなのか?

西安「大興善寺」編集:「添品妙法蓮華経601年」には、閲覧者:普曜寺沙門上行による「序文」があり。それによると、西安の「大興善寺」において、上行(閲覧者)は、竺法護・鳩摩羅什訳の漢訳と、大興善寺の底本「多羅之葉たらのは:字が書ける葉っぱに書かれたもの」があり、比較したところ、竺法護・鳩摩羅什の法華経は、大興善寺の底本にある「普門品偈頌」その他が欠けていた。それで、闍那崛多・達磨笈多(訳僧)が協力して未翻訳だった部分を翻訳し、世に出したということです。もちろんその他の抜けている品も追加されました。後述するが、普門品重偈頌は北周武帝時、北天竺三蔵 闍那崛多によって、益州龍淵寺にて翻訳されていた。 

多羅之葉たらのは
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※鳩摩羅什が使用した写本は亀茲国(現在の中国新疆ウイグル自治区の西部)近辺のものであり、竺法護が使用した写本は貝葉本(多羅之葉、T¯ ara)であるとされる。鳩摩羅什の『法華経』サンスクリット写本は、中央アジア系統に属すると推定されるが、竺法護が使用した貝葉本がどの写本系統に属するのかは不明である。

※1 多羅の葉 貝葉=貝多羅葉。サンスクリットやアフガン語など中央アジア出土の古い経典はヤシの葉に書かれている。
※2 添品妙法蓮華経の藥草喩品は妙法蓮華経よりも長い(岩波文庫「法華経 上」P287参照)
※1、2中国語と訳:広済寺ホームページhttps://www.kosaiji.org/hokke/hokekyo/translation.htm引用

 

★★★「世尊偈」は、底本にあった★★★



次の文は添品妙法蓮華経の序文である。

SAT大蔵経テキストデータベース2018:No.264[Nos.262,263]
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添品妙法蓮華經序
 
隋仁壽元年崛多笈多二法師添品 
妙法蓮華經者。破二明一之指歸也。降神五濁。弘道三乘。權智不思。大悲難極。先設化城之迹後示繋珠之本。車雖有異。雨實無差。記以正覺之名。許以眞子之位。同入法性。歸之於此。
昔燉煌沙門竺法護。於晋武之世。譯正法華。後秦姚興。更請羅什。譯妙法蓮華。考驗二譯。定非一本。護似多羅之葉。什似龜茲之文。余撿經藏。備見二本。多羅則與正法符會。龜茲則共妙法允同。護葉尚有所遺。什文寧無其漏。而護所闕者。普門品偈也。什所闕者。藥草喩品之半。富樓那及法師等二品之初。提婆達多品。普門品偈也。什又移囑累。在藥王之前。二本陀羅尼。並置普門之後。其間異同。言不能極。竊見提婆達多。及普門品偈。先賢續出。補闕流行。余景仰遺風。憲章成範。大隋仁壽元年辛酉之歳。因普曜寺沙門上行所請。遂共三藏崛多笈多二法師。於大興善寺。重勘天竺多羅葉本。富樓那及法師等二品之初。勘本猶闕。藥草喩品更益其半。提婆達多通入塔品。陀羅尼次神力之後。囑累還結其終。
字句差殊。頗亦改正。儻有披尋。幸勿疑惑。雖千萬億偈妙義難盡。而二十七品。本文且具。所願四辯梵詞。遍神州之域。一乘祕教。悟象運之機。聊記翻譯。序之云爾


添品妙法蓮華経「序」
日本語訳1

三訳を比較した文献

添品妙法蓮華經序より (大正新脩大藏經9巻 No.264 P134 b 24行)
引用:広済寺https://www.kosaiji.org/hokke/hokekyo/translation.htm

昔燉煌沙門竺法護。於晋武之世。譯正法華。後秦姚興。更請羅什。譯妙法蓮華。考驗二譯。定非一本。護似多羅之葉。什似龜茲之文。余撿經藏。備見二本。多羅則與正法符會。龜茲則共妙法允同。護葉尚有所遺。什文寧無其漏。而護所闕者。普門品偈也。什所闕者。藥草喩品之半。富樓那及法師等二品之初。提婆達多品。普門品偈也。什又移囑累。在藥王之前。二本陀羅尼。並置普門之後。其間異同。言不能極。竊見提婆達多。及普門品偈。先賢續出。補闕流行。余景仰遺風。憲章成範。大隋仁壽元年辛酉之歳。因普曜寺沙門上行所請。遂共三藏崛多笈多二法師。於大興善寺。重勘天竺多羅葉本。富樓那及法師等二品之初。勘本(比較本)猶(なお)闕(欠く) 。藥草喩品更益其半。提婆達多通入塔品。陀羅尼次神力之後。囑累還結其終。

昔、敦煌の沙門竺法護、晋武の世に、正法華(正法華経)を訳す。後秦の姚興は更に羅什(鳩摩羅什)に請うて、妙法蓮華を訳す。二訳を考験するに、定めて一本に非ず。護(竺法護訳)は多羅の葉(※1)に似たり。什(鳩摩羅什訳)は亀茲の文に似たり。余、経蔵を検して備(つぶ)さに二本を見るに、多羅はすなわち正法(正法華経)と符会し、亀茲はすなわち妙法(妙法蓮華経)と允(まこと)に同し。護(竺法護訳)の葉はなお遺すところあり、什(鳩摩羅什)の文はむしろその漏なし。而して、護(竺法護訳)に欠くるところは普門品偈なり。什に欠くるところは、藥草喩品の半(※2)、富楼那およぴ法師など二品の初め、提婆達多品、普門品偈なり。什(鳩摩羅什訳)はまた嘱累(品)を移して、薬王(品)の前にあり。二本とも陀羅尼(品)を並びに普門(品)の後に置く。その間の異同は、言いて極む能わず。窃かに見るに、提婆達多(品)および普門品偈は、先賢(の訳)の続出して、欠を補うて流行す。余、遺風を景仰し章を憲(のっと)り範と成す。大隋の仁寿元年、辛酉の歳に、普曜寺沙門上行より請われ、遂に三蔵崛多(闍那崛多)・笈多(達摩笈多)の二法師とともに、大興善寺に於いて、重ねて天竺の多羅葉本(※1)を勘(校勘)す。富楼那および法師など二品の初めは、勘本になお欠く。薬草喩品は更にその半を益し、提婆違多(品)は塔品(宝塔品)に通入し、陀羅尼(品)を神力(品)の後に次ぎ、嘱累(品)をその終を還結す。

法華経と空思想(梶山雄一)東洋学術研究第38巻第2号 引用

【竊見提婆達多。及普門品偈。先賢續出。補闕流行。余景仰遺風。憲章成範。】

*「提婆達多品」と「普門品」の偈頌をうかがうと、先学の賢者たちが続出して、欠けた所を補って、世に行き渡らせた。私はその遺風(いふう)を慕(した)い仰(あお)いで則(のっと)って規範とする。


中国語と訳:広済寺ホームページ引用

【竊見提婆達多。及普門品偈。先賢續出。補闕流行。余景仰遺風。憲章成範。】
*窃かに見るに、提婆達多(品)および普門品偈は、先賢(の訳)の続出して、欠を補うて流行す。余、遺風を景仰し章を憲(のっと)り範と成す。


AI翻訳

【竊見提婆達多。及普門品偈。先賢續出。補闕流行。余景仰遺風。憲章成範。】

*提婆達多を密かに見て、普門品偈を。先賢は続いて現れ、欠点を補い、流行した。私はその遺風を景仰し、憲章を範とした。

*提婆達多を盗み見た。及び普門品の偈。先賢が続けて出た。欠けた部分を補い流行する。余は遺風を敬仰し、憲章を成して範とする。

機械翻訳 - AI翻訳
https://www.machinetranslation.com/ja
Notes on translation:
1. 竊見 (steal/glimpse) → 窃かに見て (secretly/stealthily observed)
2. 提婆達多 (Devadatta) → そのまま音訳
3. 普門品偈 → そのまま音訳
4. 先賢 → 先人
5. 補闕 → 欠けたるところを補い
6. 流行 → 流布せしめた
7. 景仰 → 景仰し (敬意を持って仰ぎ見る)
8. 憲章 → 範を憲章せり (規範を定めた)


私は下記の翻訳が正しいと思う。中国語には過去形が無い。

【竊見提婆達多。及普門品偈。先賢續出。補闕流行。余景仰遺風。憲章成範。】

*「提婆達多品」と「普門品偈」を覗いてみると、先人が欠(竺法護・鳩摩羅什訳)を補い流行していた。余は、(先人の)遺風を仰ぎ模範とする。

先人の翻訳が流行していた。というのは、大興善寺にあった法華経梵本を見て言っているのであって、無論、提婆達多品と世尊偈頌が法華経である事は明白である。後述するが、「開元釈教録」によると益州龍淵寺 えきしゅうりゅうえんじ、にて、闍那崛多がすでに、翻訳していた。





添品妙法蓮華経「序」
日本語訳2

【重要】【序:日本語】韓枝延:「添品妙法蓮華経序」8枚目:東洋学術研究第38巻第2号






添品妙法蓮華経「序」
日本語訳3

【重要】【序:日本語】梶山雄一:東洋学術研究(1999) 通巻143号(38巻2号) 088「法華経と空思想」3枚目



●「富楼那」(五百弟子授記品第八)および「法師」(正法華経では薬王如來品第十)など二品の初めは、
勘本(原本)になお欠く。尚、「提婆達多品」は、竺法護訳の七寶塔品第十一の後半である。
●また、護(竺法護訳)に欠くるところは普門品偈なり。
什に欠くるところは、藥草喩品の半(※2)、富楼那およぴ法師など二品の初め、提婆達多品、普門品偈なり。
というのは法華経原本を見て言っているのである。
という事は、「提婆達多品」と「世尊偈」は勘本(原本)にあったと言う事である。
また、鳩摩羅什訳の「法師品」は、竺法護訳の 薬 王如來品第十の後半 である。
鳩摩羅什になぜ欠けていたかと言えば、おそらく羅什翻訳時の梵本には無かったか、欠落していた。その後、
インドの梵本において、「普門品偈頌」が増広されたという事である。
※この世尊偈は明らかに散文からの思想的発展があり、散文からつくられた事は明白である。
さらに無尽意菩薩が登場する事は決定的証拠である。無尽意菩薩は法華経にしか登場しない法華経の菩薩である。


「観世音菩薩普門品にも序文があった」

★★★御製觀世音普門品經序★★★


「観世音菩薩普門品」には以下の讃頌(おそらく皇帝からの御製)が付いていて、如何に重要視されていたかがわかる。


観世音菩薩普門品 讃偈

*******************

姚秦 三藏法師 鳩摩羅什譯 長行
隋北 天竺沙門 闍那崛多譯 重頌

『御製觀世音普門品經序』
(大正新脩大藏經9巻 No.262 P198a 12行)
御製觀世音普門品經序


觀世音菩薩。以爍迦羅心。應變無窮。自在神通。遍遊法界。入微塵國土。説法濟度。具足妙相。弘誓如海。凡有因縁。發清淨心。纔擧聲稱。即隨聲而應。所有欲願。即獲如意。妙法蓮華經普門品者。爲度脱苦惱之眞詮也。人能常以是經作觀。一念方萌。即見大悲勝相。能滅一切諸苦。其功徳不可思議。朕惟。天道福画像善禍淫。故佛示果報。使人爲善。而不敢爲惡。夫天堂地獄。皆由人爲。不違於方寸之内。故爲善者得升天堂。爲惡者即墮地獄。夫忠臣孝子吉人貞士其心即佛。故神明芘佑。業障倶泯。是以生不犯於憲條。沒不墮於無間。夫兇頑之徒。一於爲惡。棄五倫如敝帚。蹈刑法如飮甘。寧??刹。不欽佛道。然人性本善。所爲惡者。特氣質之偏。苟能改心易慮。修省避畏。轉移之間。惡可爲善矣。爲善則即善人。昔之所積之咎。如太空點塵。紅罏片雪。消滌画像淨盡。雖有果報。將安施乎。朕恒念此。惟恐世之人。有過而不知改。乃甘心焉以自棄。遂表章是經。使善良君子。永堅禁戒之心。廣納無量之福。爲善功徳。豈有涯涘哉


永樂九年五月初一日

妙法蓮華經觀世音菩薩普門品經

姚秦 三藏法師 鳩摩羅什譯 長行
隋北 天竺沙門 闍那崛多譯 重頌

----AI翻訳----
観世音菩薩。爍迦羅心をもって。無限の変化に応じ。自在な神通。法界を遍く遊び。微塵の国土に入る。法を説き、救済する。妙相を具足し。弘誓は海の如し。因縁のある者は。清浄な心を発し。声を挙げて称えれば。即座に声に応じる。すべての欲願は。即ち如意を得る。妙法蓮華経普門品者。苦悩を脱する真の教えなり。人は常にこの経を観じ。一念が萌えれば。即ち大悲の勝相を見ることができる。すべての苦を滅することができる。その功徳は思議にして。朕は思う。天道の福は善を画像し、悪を淫する。故に仏は果報を示し。人を善に導き。悪を行うことを敢えてしないようにする。天国と地獄は。皆人の行いによる。方寸の内に違わず。故に善者は天国に昇り。悪者は即ち地獄に堕ちる。忠臣孝子吉人貞士のその心は即ち仏なり。故に神明は守護し。業障は共に消え去る。これにより生は憲条に犯さず。無間に堕ちることはない。凶悪な者は。一に悪を行い。五倫を捨てて敝帚の如く。刑法を踏み越えて甘いものを飲む。寧ろ??刹。仏道を敬わず。しかし人性は本来善なり。悪を為す者は。特に気質の偏りに過ぎない。もし心を改め、思慮を変え。修省し、恐れを避ければ。転移の間に。悪は善となることができる。善を為す者は即ち善人なり。昔の積もった咎は。太空の点塵の如く。紅罏片雪の如く。消滅し、画像は清浄に尽きる。果報があっても。どこに安施するか。朕は常にこれを念じる。唯恐世の人が。過ちを知り改めず。甘んじて自棄に至ることを。遂にこの経を表章し。善良な君子が。永く禁戒の心を堅持し。無量の福を広く受け入れ。善の功徳は。果たして涯涘があろうか。


次・・・「開元釈教録」「法華伝記」から益州龍淵寺えきしゅうりゅうえんじ


論文:上村真肇しんじょう氏:「普門品偈の一思想に関する考察」から
上村真肇先生は大正大学教授を務めながら浅草寺(本尊:聖観音)に務め、布教活動に力を注いでられたようです。
若くして亡くなられたようです。彼もまた、観音を本尊とする寺院の僧侶でもあった。
論文の中で、普門品について述べられております。




上村先生の論文中にある、『開元釈教録』の「妙法蓮華経八巻二十八品あるいは、七巻に註し」の内容。である。

1.「開元釋教録」/附、 [入藏目録] Vol. 55 591(抜粋)

開元釈教録(リンク)

591

1...法華三昧經一卷法華  支派 宋涼州沙門釋智嚴譯單本
2...無量義經一卷法華  前説 蕭齊天竺沙門 曇摩伽陀耶舍 譯 第二譯兩  譯一闕
3...薩曇分陀利經一卷是異出法華寶塔 天授二品各少分 僧祐録 云 安公録中 失譯經 今附西晋録  拾遺編入
4...妙法蓮華經八卷二十八品或七卷

姚秦三藏鳩摩羅什譯第五譯上四經十一卷同帙此妙法蓮華經第五卷初提婆達多品蕭齊武帝時外國三藏達摩菩提共楊都僧正沙門法獻於瓦官寺譯其經梵本是法獻於于將來其第八卷初普門品中重誦偈周武帝時北天竺三藏闍那崛多於益州龍淵寺譯秦本並闕後續編入又第八卷中藥王菩薩等呪六首大唐三藏玄奘重譯在音義中此不別出正法華經十卷或云方等正法華或七卷一帙西晋三藏竺法護譯第三譯妙法蓮華經七卷二十七品或八卷隋天竺三藏崛多笈多二法師添品出經前序及内典録*右三經同本異譯其添品序略云正法護翻妙法什譯檢驗二本文皆有闕護所闕者普門品偈也什所闕者藥草喩品之半富樓那及法師等二品之初提婆達多品普門品偈也什移囑累在藥王之前二本陀羅尼並置普門之後其間異同言不能極竊見提婆達多品及普門品偈先賢續出補闕流行余景仰遺風憲章成範大隋仁壽元年辛酉之歳因普曜寺沙門上行所請遂共崛多笈多二法師於大興善寺重勘天竺多羅葉本富樓那及法師等二品之初斯本猶闕藥草喩品更益其半提婆達多通入塔品陀羅尼次神力之後囑累還結其終字句差殊頗亦改正儻有披尋幸勿疑惑兼此添品總成六譯三在三闕

【解析】

1...法華三昧經一卷
法華  支派 宋涼州 沙門 釋智嚴 譯(訳)單本(単独本)


2...無量義經(無量義経) 一卷
法華  前説 蕭齊天竺 沙門 曇摩伽陀耶舍(どんまかだやしゃ) 譯(訳) 第二譯 兩 譯 一闕(欠あり)


3...薩曇分陀利經(提婆達多品) 一卷
是(これは) 異出(異訳) 法華寶塔(見宝塔品第十一)
天授二品各少分 僧祐録(出三蔵記集)云安公録中
失譯經
今 附 西晋録  拾遺編入


4...妙法蓮華經八卷二十七品或(あるいは)七卷

【説明】

3...薩曇分陀利経(法華経の音写:さっだるまぷんだりーか:さつどんふんだりきょう:提婆達多品のみ)七宝塔品第十一の別行本
(失訳経:しつやくきょう/失訳経:漢訳者の名が不明な経典のこと)

以上11巻


姚秦(ようしん/後秦)三藏 鳩摩羅什譯(訳) 第五譯(訳) 上四經(上の1〜4の) 十一卷 同帙(1セット) 此(この中の) 妙法蓮華經第五卷 初(始めの) 提婆達多品 蕭齊(しょうせい/国) 武帝時 外國三藏(外国の三蔵) 達摩菩提(だるまぼだい) 共(とともに) 楊都ようと僧正(そうじょう) 沙門(しゃもん/僧侶) 法獻(ほうけん) 於(において) 瓦官寺(がかんじ/中国の寺) 譯(訳) 其(その) 經(お経の) 梵本 是 (これは) 法獻(ほうけん) 於(において) 于? (ホータン王国)將來 其(その) 第八卷 初(始めの) 普門品中 重誦偈 周武帝時 北天竺三藏 闍那崛多 於(において) 益州龍淵寺譯(訳) 秦本(姚秦ようしん/後秦の本/鳩摩羅什訳法華経) 並闕(これの欠にも) 後(のち)に 續(続けて) 編入 又(また) 第八卷中 藥王菩薩等 呪(陀羅尼神呪)六首 大 唐 三藏玄奘 重譯(重訳) 在(あり) 音義(音と意味)中 此(これは) 不(ではない) 別出(単独出版物)

【訳】

姚秦(ようしん/後秦)の三藏法師、鳩摩羅什譯(訳) 第五譯(訳) 上四經(上の1〜4のお経十一卷)は、同帙本(ちつ:1セット)である。この中の妙法蓮華經第五卷始めの提婆達多品は蕭齊(しょうせい/国)武帝時に外國の三藏法師、達摩菩提だるまぼだいとともに楊都の僧正(僧の位)沙門(僧侶)である法獻(ほうけん)において瓦官寺(がかんじ/中国の寺)にて翻訳された。そのお経の梵本は法獻(ほうけん:僧侶)によって于?(ホータン王国)から將來した。その第八巻始めの普門品重偈頌は北周武帝時、北天竺三蔵 闍那崛多によって、益州龍淵寺にて翻訳された。姚秦(ようしん/後秦)の本(鳩摩羅什訳法華経) の欠けていた所にも、後(のち)に続けて編入した。また、第八巻の薬王菩薩等の呪(陀羅尼神呪)六首は、唐の玄奘三蔵の重訳(翻訳の翻訳)あり、これは単独出版物ではない。

以上

竺法護・鳩摩羅什以後に、インドにおいて増広された法華経梵本からの翻訳であると言う事がわかる。

正法華經十卷 或(あるいは) 云方等 正法華 或 七卷 一帙(ちつ:1セット) 西晋三藏 竺法護譯 第三譯(訳)

妙法蓮華經七卷二十七品或八卷 隋天竺 三藏(三蔵法師)

崛多笈多 二法師 

添品出經前序(添品妙法蓮華経序文)

及び 内典録(以下省略)

*右三經同本異譯其添品序略云正法護翻妙法什譯檢驗二本文皆有闕護所闕者普門品偈也什所闕者藥草喩品之半富樓那及法師等二品之初提婆達多品普門品偈也什移囑累在藥王之前二本陀羅尼並置普門之後其間異同言不能極竊見提婆達多品及普門品偈先賢續出補闕流行余景仰遺風憲章成範大隋仁壽元年辛酉之歳因普曜寺沙門上行所請遂共崛多笈多二法師於大興善天竺多羅葉本富樓那及法師等二品之初斯本猶闕藥草喩品更益其半提婆達多通入塔品陀羅尼次神力之後囑累還結其終字句差 殊頗亦改正儻有披尋幸勿疑惑兼此添品總成六譯三在三闕


(1〜4)合計11巻  帙(本の箱/同帙/1セット) 



●「提婆達多品」と「世尊偈」が同じ法華経梵本からの翻訳であることがわかる。
提婆達多品の女人成仏は鳩摩羅什以後の梵本(底本)において欠落していたと言う事である。
なぜなら「正法華経 27品 竺法護訳 286年 七宝塔品 大正蔵263」にはあるからである。



2.「開元釋教録」/附、 [入藏目録] Vol. 55 545(抜粋)
開元釈教録(リンク)

545
沙門 耶舍崛多(やしゃくった) 。 周言稱藏(周字名)。 優婆國(うばこく)人。 共小同學(ともに学ぶ) 闍那崛多。 

於(において) 武帝時 爲(統治) 大冡宰(後周(北周)の宰相)宇文護(宇文護うぶんご)  於(において) 四天王寺 及(及び) 歸聖寺。 譯(訳) 金光明經 等 三部靖邁經 圖中 又 有 大雲請雨經 一卷

亦(また) 云稱藏所 譯(訳) 今以(いまだに) 此經(この経) 即是(これすなわち) 與前(未翻訳) 闍那耶舍(じゃなやしゃ) 共出之者(共同作者と) 不合(一致しない) 別上(別に上げる) 二處(2か所) 倶存者(生存者) 誤(不明)

也(ほか)

妙法蓮華經 普門品重誦偈 一卷 在益州龍淵寺 譯 今 編入 第八卷 普門品

種種雜呪經 一卷 或(あるいは) 無經字呪總二十三首 在 益州龍淵寺譯 (訳)

佛語經 一卷第二出與 元魏(北魏ほくぎ、386年 - 534年) 菩提留支(菩提流志(ぼだいるし)ぼだいるし・翻訳者)譯(訳)者同本 在益州龍淵寺譯(訳)

金色仙人問經 二卷  於(において) 長安 舊城四天王寺譯(訳)

蕭吉筆受 並(これにも) 見長房録  右四部五卷 前二部二卷 見在(現存) 後(あとの) 二部三卷 闕(欠)本

沙門 闍那崛多(じゃなくった)。 周言志徳。 北印度(北インド) ?ノ達(ガンダーラ)國人。師徒同遊來達茲境。 以(もって) 武帝時 於(において) 四天王寺。譯(訳) 金色仙人問經。

後(その後)
 
隨(隋) 譙(隋の国(郡(しょう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡) 
王(王)  宇文儉 ( 宇文儉うぶんけん(551年―578年2月27日))往(の後で) 益州(えきしゅう)。於(において) 龍淵寺(りゅうえんじ) 復譯(再び翻訳) 普門偈 等 三部。 崛多(じゃなくった) 入隨(隋に入る) 更(さらに) 廣翻譯(広く翻訳)。

備如後述(後述) ※詳細は上記「開元釋教録」/附、入藏目録 Vol. 55 591参照

開元釈教録
かいげんしゃっきょうろく
Kai-yuan shi-jiao-lu 中国、唐の智昇編の訳経目録。略して『開元録』。 20巻。開元 18 (730) 年成立。
中国に仏教が伝わってからだいたい660年間に176人の人々によって訳出された、
大小乗の経律論の三蔵と訳出者らの伝記、失訳 (訳者不明のこと) 、欠本などを記録した書物。
全部で 1076部 5048巻を収め、序列整然として、記事が正確であるから、
以後の大蔵経の内容を規定する標準となった。

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論文:上村しんじょう氏:普門品偈の一思想に関する考察



論文:上村しんじょう氏:普門品偈の一思想に関する考察
文脈もデタラメ。何を言っているのかわからない。
「添品法華経」の「序文」にそれぞれ独立の偈頌として紹介されている。

とあるが、そんな事は書かれていない、翻訳者が違うだけである。
法華経から抜き出した別行本である。

「添品妙法蓮華経の序文」にそんな事は書かれていない。
大興善寺には底本があり、比較した結果、竺法護や鳩摩羅什に世尊偈が抜けていると序文の作者は言っている。

さらに
上記の★「開元釋教録」/附、入藏目録 Vol. 55 591では、
妙法蓮華經八卷 法獻(ほうけん:僧侶)が、于闐(ホータン王国)から將來した梵本である。と明記されている。


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普門品漢課経偶碩の添加について
上 村 眞 肇 
 


訳の分かんね〜事いってんじゃね〜ぞ
無尽意菩薩は長行(散文)にも偈頌(韻文)にも登場する。 無尽意菩薩は法華経にしか登場しない。
無尽意菩薩は法華経の菩薩である。普門品偈頌は「重偈」である。

すでに添品以前に訳されていた漢訳偈は、法華経から抜き出した別行本である。

「添品の編成者によって、採録添加されたものであり・・・」
普門品偈頌は、大興善寺梵本からの編成である。

「普門品の場合は、長行とは別の偈頌が長行に添加されているので・・・」
意味が分からぬ。

歴代三寶紀 (卷第十三大乘録入藏目) in Vol. 49 リンク
● 歴代三宝記は「経禄」として認められていない。

●上記の1 4 5は、普門品は、当時の梵本法華経から翻訳別行した本である。
2 3 6 7 8 9 は現存しないので、照合できない。
すなわち何の経典か分からない。

普門品は重偈である。

偈頌

(ある人が)処刑者たちの手に落ち、いまにも処刑されようとしていると
しても、(その人が)観自在を念じていると、そのとき刀はこなごなになる。

漢訳「或遭王難苦 臨刑欲壽終 念彼觀音力 刀尋段段壞」

散文

もし処刑されようとしている者たちが、観自在菩薩・大士を大声で呼ぶな
らば、処刑人たちの刀はこなごなに砕けるであろう。

漢訳「若復有人臨當被害,稱觀世音菩薩名者,彼所執刀杖尋段段壞,而得解脫。」



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論文:上村しんじょう氏:普門品偈の一思想に関する考察



上村真肇氏の論文だ、

そんなこと調べてどうなるのか?何か収穫でもあったのか?
その辺が限界だろう。


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梶山 雄一(かじやま ゆういち、1925年1月2日 - 2004年3月29日)は、日本の仏教学者 。学位は、文学博士。 京都大学名誉教授。

かなり立ち入った議論の後にこれを増広と断じている。

と言っているが・・・

普門品偈頌の増広があるとすれば、インドにおける普門品散文からの進化発展である。


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「観音菩薩と普門品」三友健容博士論文より。
「法華伝記」ほっけでんき(8世紀:作者不明)
【中国・唐代の僧祥撰。法華経 の伝訳、法華経を講釈した高僧の伝記、法華経論釈・流派などを記述した書】

2 梵文法華経と観音経
鳩摩羅什は丁度今から1600年前の406年に『妙法蓮華経」を漢訳したが、周知のように、そ
こには「観世音菩薩普門品」の偶頒部分が欠落していて長行の部分だけが漢訳されている一。
すなわち現在我々が羅什訳と称して長行と偶頒まで読請しているものは、閣那堀多が校訂した
「添品妙法蓮華経」によるものである。この「観世音菩薩普門品」は人々の救済を説くものと
して好まれ、早くから「法華経」とは別に世に流布していた。

晴代以前に既に北涼では、

曇摩羅識法師 (伊波勒菩薩)が別行本として流布しており
(「観音玄義」大正蔵34、891c)、また別名「當途王経」とも呼ばれていた
(「法華文句」大正蔵34,144c)。また、上記の讃頒からもわかるように、
「観世音菩薩普門品経」とも呼ばれていたようである。

また、「法華伝記」(T51,52.b)には、

光世音経一巷。 西晋永嘉二年竺法護課(訳)。
普門品経一巻。東晋代沙門祇多蜜課(訳)。
観世音経一巻。後秦羅什於長安迫遙園詳。
観世音経一巻。宋代安陽侯京聲於高唱言睾。
普門重諦偶(偈)一巻。梁武帝代北天竺乾闇國沙門 闇那堀多。在益州龍泉寺。共梁誰工宇文詳。

已上五経。大部中普門品同本。既有普門品経一巻十五紙。彼大實積文殊會同本。非法華別出。

とあって、羅什などの三本を合わせて
五本の観音経が民間に流布していたことがわかる。また、未詳であるとするが、「高王観世音経」(T51, 52c)もあったようである。
文中

已上五経。大部中普門品同本。既有普門品経一巻十五紙。彼大實積文殊會同本。非法華別出。




以上 五経。 おおかた普門品(法華経)と内容同じ。すでにある、普門品経一巻十五紙。
かの大宝積文殊会(大宝積経だいほうしゃくきょう:文殊師利普門会)と同本。法華経ではなく別本。

解説

上記五経は、法華経普門品と同本である。
三友健容博士は、「早くから「法華経」とは別に世に流布していた」
と言っているが、鳩摩羅什訳の底本の後の時代にインドにおいて、普門品に偈頌が追加され、
それが法華経として伝わり、別行本(大きな経典から抜き出して使われる本)として、出回っていたという意味である。

曇摩羅識法師 (伊波勒菩薩)は、普門品と同本ではない。

「法華伝記」も8世紀、作者不明である。しかしながら、普門品偈頌が梵本法華経からの翻訳である事を証明している。





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■辛嶋静志(立正大学) 《法華経》───「仏になる教え」のルネサンスから



世尊偈が独立して流行していたものが、四五世紀になって法華経に組み込まれたものである。

と言っているが

以下観世音菩薩普門品の一部

無尽意菩薩は釈尊に言った。「世尊よ、わたしは今この観世音菩薩に供養します」そして無尽意は、首から幾百千金の価のあるそして宝珠の飾りを取ると、これを与えて言った。「菩薩よ、この宝珠をどうかお受けとりください」そのとき観世音菩薩はこれを受けとらなかった。無尽意は再び言った。「どうか、われらを憐れむと思って、この宝珠をお受けとりください」そのとき釈尊は観世音菩薩に言った。「観世音よ、まさにこの無尽意菩薩と天のものと人と非人と諸々の会衆を憐れむがゆえに、この宝珠を受けるべきである」観世音菩薩は会衆を憐れみ、宝珠を受けて二分し、一つは釈迦牟尼仏に奉り、一つは多宝仏の塔に奉納した。


このように普門品には、多宝如来が登場しており、法華経である事は明白である。
そして
「観世音菩薩は会衆を憐れみ、宝珠を受けて二分し、一つは釈迦牟尼仏に奉り、一つは多宝仏の塔に奉納した」
というのは法華経に対する帰依である。
世尊偈は間違いなく散文からの思想的発展の形跡が見られる事からも、普門品散文を元にインドでつくられたものである。
決定的な証拠は 無尽意菩薩 むじんにぼさつ である 。
無尽意菩薩は長行(散文)にも偈頌(韻文)にも登場する。 無尽意菩薩は法華経の菩薩である。



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【妹尾国海:論文:補陀落と観音から】

 

普門品がなぜ補陀落について、沈黙しているのか?
と言っているが、
補陀落という思想は、華厳経の入法界品からの成立である。
法華経の時代には無い思想である。